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2004 霜月


2004.11.27 sat
 つ いに、「愛のコリー ダ」(大島渚監督/1976)を観た。

 1936(昭和11年)に実際に起こった「阿部定事件」を 元に制作された。
 阿部定、といえば、惚れた男を殺して、性器を切り取った「すげー女」 として、当時も今も話題になっている。

 映画は、とにかくセックス三昧。いたるところでやり放 題。私が見たのは、「愛のコリーダ2000」なので、暈しがうっすら入っているだけで、性器も、結合部分もわりとはっきり見える。だから、「ただのエロ映 画」だとか、「卑猥」だとか、「不快」だとか思われてもおかしくない。実際、ネットでレビューを見ると、半分くらいの人がそのような反応を見せている。

 この映画の芸術性、だとか、斬新さだとかはおいとい て、(その方面から切っていくにはあまりに知識がなさ過ぎるので)やっぱり、女性におけるセックスについて思ったことを書く。

 お定さんは、吉蔵さんの性器をずっと握り続け、くわえ たり、動かしたり、自ら膣内に導いたりする。吉蔵が「便所に行く時しか休ませてくれない」と笑う程だ。それはまるで「変態」のようだけど、私はちょっとう らやましいような、わかるような気がした。
 女にとって、男性の性器と言うのは、不思議なものだ。女の体には、目 に見えて大きさが変わるものは付いていないし、あの硬さも持ち合わせていない。小さい時はめちゃくちゃ頼りなくて、情けなくて、可愛いのに、大きくなる と、たくましくいきり立ち、攻撃性を持つ。そのギャップが愛おしい。理屈だとか、社会性だとか、そういうめんどくさいものをとっぱらって、反応するところ が、なんだかものすごく純粋に見えるのだ。
 さすがに、性器を切り取りたい、という願望は無いが、「持って帰りた い」と思ったことはある。理由は一言、かわいいから。これって男の人にはわからないだろうなぁ。女の人なら少しわかってくれる、むしろ大賛成してくれる人 もいるはず。
 定さんがニンフォマニア(淫乱症)で、破壊的な人物だから、こういう 事件が起きたとはとても思えない。それは一義的な理由に過ぎないと思う。
 そのくらいおちんちんって女を狂わせてもおかしくないんじゃないか な。

 定さんは、吉に対してすごく積極的で、自分のしてほしいこととか、したいことを ちゃんと口に出すし、恥ずかしがらない。吉は面白がってそれを受け入れる。その構図がすごく素敵だった。
 女の人が積極的だと萎えてしまう男の人がいるのは確かで、その反面、 女の人は男の人が攻めてくれないと不満(不安)だったりする。
 でも、定と吉は、セックスにおいて演技をしない。「こうして欲しいか ら、こうしてみる」っていうのじゃなくて、「こうしてみたけど、どうかしら」っていう感じ。
 正直、現代になっても、いや、現代だからこそ、女は定さんから、男は 吉さんから学ぶところはいっぱいあると思った。

 セックスって、性器がこすれあって気持ちいいだけだったら、たぶんみ んな飽きちゃうだろうね。
 生をもらったり、死を感じたりするから、(まさにエロスとタナト ス!)夢中になっちゃうんだろうな。
 この映画で、その凝縮バージョンを観させていただきました。

2004.11.23 tue
  めちゃくちゃ落ち込んで、発狂寸前になりました。昨夜。
 涙も出ないほどの落ち込み。びっくりした。

 結局、寝て、目が覚めるとちょっとよくなっていた。なんか自分の単純 さがちょっと嬉しい。
 夢に亡くなった母が出てきた。夢であえたことがすごくすごく嬉しい。
 場所は空港。旅に出ようとしていた私が、旅から帰ってきた母とすれ違 う。なんのコンタクトもなく素通りした三秒後に、「あ!話さなきゃ!」って思って、猛スピードで追いかける。振り向いた母は、笑って、「どこに行くの?あ ら、いいじゃない」と、あの母そのままだった。
 「じゃ、あたし行くね」って言ったら、「気をつけるのよ」って。

 ああ。なんだか深読みしてしまう。

 夢の中のあたしは、一人旅にでるところだった。きっと、現実でも私は 一人旅に出ているのだろう。
 最大限の力を使って、目の前の山を切り崩しながら、「気をつけて」前 に進もうと思う。
2004.11.21 sun
オールドボーイを観にいった。
前に、コラテラルを観にいった時に、予告編で衝撃を受け、絶対に観にいこうと決めていた。

 ともかく、壮絶すぎて不快感すら覚える映画だ。精 神的にも、肉体的に すら痛い。でも、見終わった後、疲れてしまうくらい、人の心を揺さぶる。

 サラリーマンが、突然拉致され、15年もの間、監 禁される。理由も、 そこがどこかもわからず、死すら受け入れてもらえない異常な日々を送る。そこで、生まれたのは、「復讐心」と、屈強な体。どうにか脱走しようと試みるが、 突然、なんの前触れもなく、開放される。そこから、「なぜ」を解明するために、そして「復讐」を成し遂げようとするために、壮絶な戦いが始まる。

 復讐劇ではあるのだが、推理でもあり、そして、愛 とはなにかを本気で 問うている。
 ストーリーでも充分楽しめるが、私がなによりもすごい、と思い、気持 ち悪い、と思ったのは、主人公のチェ・ミンシクの演技だ。彼の、表情の作り方と、変貌っぷりに思わず目を覆いたくなる。
 それから、性描写や、食事の時の音、映像の色が、やっぱり気持ち悪く て、でも、その気持ち悪さって、実は現実世界にもあって、けっしてきれいなだけではない世界がそこにはある。かといって、ただひたすら汚いわけではないの がポイントだ。
 血もあるし、暴力もあり、合わない人はものすごく嫌悪すると思う。実際、映画が終わった後に、「チョー不快なんですけど」と彼氏を攻めている女の子がい たし、「精神的に落ち込んでいる時は見ないほうがいい映画」とブログに書いている人もいる。
 でも、私はよかった。今、「性」について研究しているからって言うのもあるけど世間で言われている正しいことって、何を持って正しいとされているのかっ て言うのを考えさせられる。愛のあるセックスとか、人が人を恨むことだとか、なにを基準に人は生きているのかな、なんて思った。というか、何を基準に世界 は動いているのかな、というべきか。
 「すべては幻想だ」と言ったのは、岸田秀だったけど、最近それが少しでちょっとだけど、わかる。
 ただ、おもしろかったり、爽快だったりする映画も大好きで、ハリウッド映画なんてけっこうはまってみちゃうんだけど、「正解」が一つで無い映画の魅力 を、この作品によって、感じたのでした。
 ちゃっかり便乗しちゃうんだけど、韓国って、今、すげーパワフル!女の人はめちゃくちゃきれいだし、男の人は、かっこいいだけじゃないんだもん。ああ、 次は何の映画をみようかしらん。
2004.11.20 sat
 久 々にドトールをした。
 ドトールに行ったのではない。ドトールをしたのだ。

 「ドトールをした」と言うときにさすドトールは、私に とっては特別な居場所である。

 小田急線の急行が止まらない、馬鹿みたいな名前の駅を 降りて正面にある。我が家からは、愛チャリで五分のところだ。
 何も変わったところは無い。店員の制服のスカートが(きわめてマクドナルド的に)短くて思わずにやけてしまったりもしないし、サングラスのおじさんばか りが(非常にルノアール的に)たむろしているわけでもない。
 ブレンドが目の覚めるほどおいしいわけでもなく、サンドイッチを頼むと十回に一回忘れてくれるところなんか、間違いなくドトールである。ドトール的ド トール。

 私はそこに六年間通っている。雨の日も、風の日も、風 邪の日も、甘い恋の予感の日も、友達と大喧嘩したその日も、店に入り、「ブレンド」を注文する。胃が痛い日は、「ティー」、もしくは、メニューには書いて いない「ミルク」を頼む。

 柔らかくない椅子と、狭すぎる机に若干の不満を覚えな がら、私はそこで読書をする。読みかけの本を数冊と、社会に追いつくための雑誌と、脳みそをかき回すための漫画を、黙々と読む。隣にうるさいばばあ(あえ てこう書かせて)がいるとじろりとにらみつけ、かっこいい男の子がいるとさりげなく目線を送る(そこから何が始まるわけでもないのに)。

 それから時々、書き物をする。友人への手紙、否ポエム 的ポエム、日記、読書感想文、レポート、恋文。ニヤニヤしながら、ときに鬼のような形相をしながらペンを走らせる。

 暇をつぶしているように見えるだろう。たしかにそうい う面もある。でも、それ以上に意味があるから、私にとっては特別な居場所なのである。

 ドトールをすると、カチッとなにかのスイッチが入る。 それは、『リセットボタン』であることが多い。毎日飲んだくれて、人と会いまくって、一人のなることが無いと、私はどんどん流されていく。人と会っている とそれそのものに意味があるから、なんだか心地よくて自分自身と向き合わなくなっていく。「まいっか」が口癖になり、「あーやんなきゃ」と言いながら何も やらない日々が続く。
 しかし、ドトールをすると、本を読み、文を書くから、たまっていたの もが開放されて、すっきりするのだ。図書館で本を読んだり、寝ながら日記をつけるのとは違う。
やっぱりドトールをするからリセットされるのだと思う。

 それから、ドトールが特別だという理由ではずせないのが、ここのドトールはわが青春の象徴のような場所だということだ。
 高校生の途中で、この近辺に引っ越してきた私には、近所の友達がいなかった。だから、一人でドトールをしていたわけだけど、大学生になり、バイトも始 め、どんどん友達が増えていった。そしてその中で恋もした。
 まだ、お酒を飲むことを習慣としていなかった私と友人たちのたまり場所はやっぱりドトールだった。
 そこで、延々と何時間もひたすらおしゃべりをした。好きな映画のこと、今読んでいる本のこと、好きな人のこと、男の条件、女であること、差別、政治、自 分の親のこと、将来の夢・・・話題はけっしてつきることがなかった。
 「今、Dにいます」とか、「Mとドトールしています」とか、「じゃあ、ドトールで」とか、そんなメールが来ると、返事もしないで、ドトールに向かった。 一人でふらりと立ち寄ると、知っている顔があったり、生真面目な顔で本を読んでいると、突然友が現れたりした。偶然だったり、必然だったり、どちらにせ よ、私があの時間、どんな形であれ、ドトールをすることが出来たのは、間違いなく今の私を作っている。というか、多大な影響がある。

 特別な場所って、きっといつまでたっても特別な場所だ。色あせたって、忘れられそうになったって、特別な場所に変わりは無い。心の風景になる。


 私は今日もドトールをする。
 なにをしよう。それは行ってみてからのお楽しみ。
 
2004.11.18  thu
酔っ払うと、三割り増しで相手がいい男に見える。
三割減する人もいるんだけどね。
 一 週間経っちゃった。書くことはいっぱいあるんだけど、言葉にならないなぁ。
 でも、最近なんだか楽しいのだ。
 自分の考えていることとか、感じたことをそのまんま話せる相手が何人 かいるからだろうと思う。 
 やっぱり、今年の夏に起こった出来事に対する精神的しわ寄せが、今に なって来ていて、考え込んだり、考え直したりすることが多い。
 救われたのは、そういう、とりとめのない話を、ふむふむうなづきなが ら聞いてくれる人が身近にいること。「あー!どうしよう!」ってなった時に、不安にさせたり、怒ったりするのではなく、認めてくれた上で、真剣な答えを 返してくれるから、本当によかった。
 
 
 大事なのは、「いい言葉」ではなく、「心から出る言葉」なのだ。

 

 
2004.11.11 thu
オーガズムの日

 今 日は、「いいぃぃっ!!」日ですね。

 「セックスを学術的に考える委員会」が発足されてからと言うもの、何 事もセックスに結び付けて考えてしまう自分がちょっと好き。今のところ会員は二名なんだけれども、なかなか楽しいので、入会したい方は、無料ですのでご連 絡ください。
 まぁ、やっていることと言えば、すべての物事をセックスを基準に考え ると言うただそれだけなんですが、これが意外にも説得力があるので、一度試してみてください。
 セックスは人生だ、と私は思っている。だから、セックスを真剣に考え ると言うことは、人生を考えているということになるわけで。なんてめちゃくちゃ理屈っぽいですけど、芯にあるのは、「きもちいか、きもちくないか」ってと ころだったりもするんです。
 まぁ、今日は泡盛を飲みながらこれを書いているので、いい例が出せず ごめんなさい、という感じですが、これからちょくちょく書いていこうと思います。
 
 私は普段からセックスセックス言いまくっているので、そうとうセック スが好きなビッチちゃんって勘違いされてもおかしく無いんだけど、実生活はとくに際立ったことはしていません。そりゃ、セックスをする時はけっして受動的 ではないし、まぐろでもないし、めちゃくちゃ真剣に向き合いますけど、誰とでもやりたいとか、激しい体位を好むとかそういうのは無い。オナニーだって時々 はするけど(こんなこと書いちゃっていいのかな)、基本的にはめんどくさいので下半身に手が伸びることはまれです。ピンクローターは持っているけどね。
 ただ、やっぱりセックスをする時はすっごく集中します。むしろ研究者 のようでもあります。どうすると自分は気持ちいいのか、相手はなにがいいのか。
 それを考えることは、やっぱり相手をいかに愛しているかと言うことに も関わってくる。この人を喜ばせたい。喜んでほしい。
 そして、自分の気持ちよさを追求することは、自分の体を愛することに もつながる。
 新しい自分の発見や、あとは、美しく見られることへの執着も芽生え る。
 うん。私は、気持ちいいセックスが好きだけど、それだけじゃないセッ クスってのがたまらんね。人生的に。
 だから、やっぱりこんなにすてきなことを私は不特定多数とはやりたい と思わないし、実際そんな体力、精神力はない。
 もったいないもの。簡単に出来ちゃうことなんてつまらないじゃない。

 ・・・と、今は思っているわけですよ。脱皮(処女ではなくなった)し たときから、数年間、セックスについてはいろいろいろいろ考えて、一時期はいろんな人と経験をつむだけいいことのように思ったけど、でも、やっぱ今の考え は気に入ってます。

 でも、セックスなんて人それぞれだから、どういうやり方に対しても否 定は出来ない。ただ、だからこそ私は色色な人の話が聞きたいな。 
 人がセックスと向き合う姿勢ってのは、その人そのものが見える気がす るんだ。
 さあ、みなさん、セックスについて話してみませんか。というか、話し たいですな。
2004.11.10 wed
酔っ 払うと人恋しくなる。
くそうってなくらい。
そういう時、不毛な恋とか、手の届かない憧れとかにすがりたくなるけれ ども、翌朝を考えたら、すがらないのがベストだ。
でも、その隙間は、自分を包み込んでくれる愛でも埋められないやっかい なものでもある。

そんなことをもっと感情的になって友人にメールしたら、意外にも真剣な 答えが返ってきて、嬉しくなった。
その後一時間半くらいその友人と炸裂トークをした。夜中の長電話ってや つがすごく久しぶりで、高校生に戻ったみたいな気分だった。

そこで思い出した恋がある。

 高校二年生のとき。
 同じクラスのいつも馬鹿をやっている男の子に惚れた。
 惚れた理由はあまりに単純。
 ファーストキスの相手だからだ。
 もうそれは、嵐のような恋だった。恋に落ちて一週間後にふられ、それ でもねばってねばって、一年以上アタックし続けた。
 音楽をやっていた彼は、とても理屈っぽいくせに、感覚的でもあるいや なやつで、私のことを理解しているかのような顔を見せながら、的確に、私の心にいろいろな傷をつけた。
 彼に、「ブス!」って言われることが合言葉のようで、嬉しくて、か まってくれることがものすごく幸せだった。
 その彼とは、よく電話をした。電話で、話している彼はいいやつで、私 を一番わかってくれているような気がした。
 でも、恋ってやつは本当に厄介で、私と彼をどんどん違う方向に流して いった。
友達だった時は、清らかな水の上をすいすい滑っていたのに、恋が絡んだ 頃から、泥の水に変わり、それは速度を増し、ぐちゃぐちゃで何も見えなくなっていった。そしてそれは、全部自分の「恋心のせい」だと言うことが、わかって いたから、ものすごく苦しかった。
 気付くとそれは、恋でもなく、友情でもなく、もちろん愛でもない、理 解の範疇を超えたものになっていた。関係性は完全に破綻していた。
 そして。
 その恋は高校卒業と共に、無理やり卒業させ、私はその後年上の男と付 き合った。
 今考えると、彼を忘れるために付き合ったようなものだったと思う。
 それでも、時間は流れ、経験をつむと、自然に彼への執着はなくなり、 結果的にはよかったのだが、今でも、あの恋の痛さとか、苦しさは忘れていない。
 もう二度としたくないし、彼のこともあまり思い出したくないし、今の 状況が一番幸せだって心底思う。
 でも、だからこそ、愛おしい。あんなにがむしゃらで、ぶっ飛んでしま うことは、一生無いだろうと思う。
 恋を真剣に考え、一人の男を骨の髄までしゃぶりたくて、ずたずたに なって、見えたものは、そりゃあもういっぱいある。
 だから、彼に出会えたこと、彼に恋したことを後悔はしていない。
 今の私を作り上げた、大きな要素として、彼がいる。
 彼との一連で、私はきっと強くなったし、自分の弱さを知ったし、人の 痛みがほんのちょっとだけど、わかるようになった。

だから。

今、ものすごく痛い恋をしている人も、いつかはこうやって、「ネタ」に なって笑う日が来るのはずなのだ。
だから、ないがしろにしないで、その思いを堪能すれば、きっと、味のあ る人間になれると、私は信じている。

恋をしよう。恋は落ちる前に、するものだ。

と思う。

2004.11.8 mon
  うーん。風邪をひいた。バイトに行く前に喉が痛くて、こりゃ、バイト早退も考えられるな、と思っていた。でも、バイト先に付いた頃から、あまりひどくなく なってきて、ばりばり忙しい中をやり過ごした。帰りの電車に乗っているうちに、鼻がぐしゅぐしゅしてきて、ひどくなっていることに気付いた。
病は気から。

人は強い。今までは、これが大前提で人と話をしていた。
でも最近は思う。
やっぱり人は弱い。
寂しさとか、不安とか。抱きしめて欲しいとか、暖めてほしいとか。
めんどくさいとか、死んでしまいたいとか。
妥協して、かっこつけて、嘘ついて、諦めて、後悔する。

そんなに強くないからこそ魅力的なんだ。

でも、やっぱり強くありたいと望む。
甘えちゃいけない。前向きに。パワフルに。夢を持って。愛し合って、向 き合って。
そうありたいと思えば思うほど、皮肉なことに環境がそうはさせてくれな かったりして、あがくあがく。めちゃくちゃにあがいて、傷ついて、いやな大人に近づいて。

でも、それでも生きて、笑って、やり過ごす。

そのアンバランスで、どうしょうもねーのがにんげんなんだろうな。

そんな
当たり前のことに当たり前のように気付いて、やっぱり人が好きだな、 と。

それが私の原動力。

今の私を笑わせて、ときどきちょっと傷つけてくれる大事な友人と呼べるすべての人たちに、なんだか、今、無性に無性に
会いたいなぁぁぁぁ。

2004.11.6 sat
「世 界中の人が幸せになる方法」
 ない、と放り出してしまうのはあまりに乱暴だったので、考えを書こう と思う。

 そもそも、「幸せ」ってなんなのか。「幸せになる」ってどういうこと なのか。
まずは、辞書を見てみる。旺文社国語辞典によると、「1、めぐりあわ せ、運 2、心が満ち足りた状態」とある。心が満ち足りた状態って、私にとってと、これを読んでいるあなたにとって、同じなのだろうか。
 戦争をしないことや、暴力の無いこと、差別の無いことは、幸せに近づ く方法のように見える。私にとっても、これが幸せに近づけることではある。でも、人は心理学的、社会学的要因で、いかようにも変われてしまう。
 もし、自分の親が、理不尽な暴力によってだれかに殺されたら、もしか したら、「そいつを殺すこと」が、私にとっての幸せになるかもしれない。自分が無職で、明日食べるものも無いときに、ご飯を食べさせてくれる人こそが神様 に見えるかもしれない。毎日がまっくらで、先が見えなくて、苦しくて、そんなとき死こそが幸せだと思うかもしれない。
それって、「絶対無い」とは言い切れないと思う。そりゃ、今の私にとっ て、想像の範疇では、ありえないことだけど、何が起こるかわかんないのが人生だ。
 つまり、幸せって「世界中の人にとって」なんて、ひとっくくりにでき ないことだ、私は思ったのだ。
 だから、「世界中の人が幸せになる方法なんてない」と言ったのだ。

 人の幸せを願うって、かんたんに言えちゃう美談のようだけど、本当に 相手の幸せを考えて出来ることってすごく少ないと思う。願っている時点で、自分は常に上にいるわけだから。
 でも、だからって人の幸せを願わない、自分さえよければいい、遠い国 のことなんて関係ない、っていう考えを支持しているわけではない。
 できれば多くの人が幸せを感じれればいいな、と思う気持ちはある。だ から、友達が落ち込んでいたら、どうにかして励まそうと思うし、震災が起こったら寄付をしたり、戦争が起こったら、心がちりちり痛むし、どうにかしたい な、って思う。
 そう、だから、世界中の人が幸せになる方法ってやっぱり無いと思うけ ど、「平和」を求めることは無駄ではない。
 平和は、非暴力の上にある。戦争がなく、穏やかなこと。これが平和 だ。

 だから、ブッシュさんは、平和を望んでいるのではな く、「幸せ」を望んでいるのかもしれない。怖いのは、誰の幸せかってことをすごく乱暴にまとめてしまっていることだと思う。
平和イコール幸せだ。でも幸せイコール平和ではない。

 
 難しいなぁ。
伝わるかなぁ。。。
 
 
 
 

2004.11.4 thu
 「楽 天じゃなくてライブドアだったら、もっと野球に興味がわいたのに!」と言っている人、私を含めてもう五人達成。こんなに身近なところで五人もいるんだか ら、かなりの数かいるんだろうな。
 そもそも、「後だし」って、じゃんけんですら認められないじゃない。
 「夢」を与えるのが野球だって言うけど、この怪しさ、なんだか「疑 惑」のほうが強くなってない?
 もともとプロ野球には興味ないけど、今は、不快感もプラスされちゃっ たわ。あああ。

 「おい、ブッシュかよ。」と言っている人を電車の中で、三人くらい見 た。友達でも、三人くらいいた。
 あんな鬼顔、怖くて新聞見れない。笑顔ですらたくらみに見える。
 「アメリカ国民のため」って言葉、外国人の私からしたら、とても怖い 言葉。
 どんな理由にせよ、顔も知らないちびっこを殺してしまうような人を支 持はしたくない。だからって代わりがいるのか、お前にできるのかって聞かれたら、無理だけど、でも、自分がされたくないことは人にしちゃいけないって、幼 稚園の頃から、知ってたよ、私でさえね。
 正義なんてないんだよ、暴力の上には。と、熱く思うわけさ。
 
 世界中の人が幸せになる方法なんてない。
 諦観でも、マイナス思考でもなく、現実は夢ではないのだ。
2004.11.3 wed
 昨 日おとといと、大学の文化祭に行った。これがほんとに「学生」としては最後で、でもそんなことを考える暇も無いくらい楽しかった。

 一日には、高校生の時から気になっていたミュージシャン(トモフス キー)の生演奏を聞くことができた。38歳だっていうのに、若々しく、にこにこ癒しの顔で笑っていて、可愛かった。歌は、音響の調子が悪かったんだか、歌 詞が全然聞こえなくて、あんましよくなかったけど、堂々と、夜空に響く彼の主張は、やっぱりかっこよかった。

 うちの学祭は、学校に入ってすぐのところに、でっかいステージを設置 して、THE野外ステージなるわけだけど、爆音のロックが、きもちいいんだ。小さな大学だから、生音が、大学を包んでしまっていて、これに守られているよ うな、これにぶっ壊されているような、どちらの意味でも象徴的だ。

 まっずい酒を片手に、ふらふら歩いていると、知らない人から話しかけ られて友達になったり、久しぶりの友人と「乾杯!」って笑ったり、開放的で、まさに「祭り」だ。
 交尾しかけている男女を横目に、おかまちゃんの偽おっぱいをもんだ り、「まんこ!」とか叫んでる男に「ばっかじゃねーの!」って言ったり、意外と可愛い子が多いなぁなんて思って、ナンパしてみたり(男女関係なく)。

 だいたいみんな四時くらいから酒飲みだして、夜中まで飲むのが主流。 昔は24時間開放していたみたいだけど、今は、規則的には、いけないことになっているらしい。でも、結局オールして、三日間飲み続けている友達もいる。

 で、昨日は、またすっげーイベントがあった。一つが、うちの大学に二 十年間住み続けている男の人の野外ステージライブ。どういうことだ?って感じだよね。大学に住むって。入学した時から、うわさはあったんだけど、うわさだ と思ってたら、本当にいた!!

 平井堅ばりの濃い顔の、四十歳。音楽のジャンルとかよくわかんないけ ど、めちゃくちゃ早いギターテクニックと共に、叫んでいた。「からまわり」なんて曲を絶叫されたら、その背景を想像しちゃって、学生大爆笑。温かい爆笑。 ふらふらしながら、踊って、おもわず握手を求めてしまった。

 あと、音楽をやる場所は、野外ステージ以外に、「学生ホール」っての があるんだけど、これがまた怪しいんだ。古びたライブハウスみたいで、入り口の壁は落書きだらけ。汚い。でも、それがまたいい味をかもし出してて。
 そんな怪しい場所で、「SMショー」。新宿で女王様をしているCさん がいらっしゃる。迫力のある体で、鞭をふるう、ろうそくをたらす。M女は、「いたきもちい」悲鳴をあげる。でも、それは「暴力」ではなく、セックスであ り、遊びであるように見えた。もちろんエンターテイメントであるのはもちろんだけれど。
 会場にはたぶん百人くらいの学生がいた。でも、そのうちの、特に男子学生は、すぐに「おいっ!」とか、「ほう!」と合いの手を入れる。それは、ただの照 れ隠し、凝視できない幼児っぽさを感じて、すごく不快だった。「だまってみてろよ!」と思ったけど、まぁ、ひとそれぞれ感じ方はあるわけだから、しょうが ない。
 その後、ふらふらして、ゼミの友達に会って、ついつい熱く語り、あきれられ、早めに帰宅した。
 ここちよい酔いに熱くほてった体を、冷たい夜風が包み、思わずにやけてしまった帰り道だった。




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